花との出会い~そして私のストーリー
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花との出会い~そして私のストーリー

2022年04月07日(木)10:49 AM

 

私の仕事は現在“フラワーセラピスト”です。


以前はフラワーアレンジメントの講師を長年やってきました。

しかし今私は“セラピスト”だと自覚しています。

花には元々人を和ませたり、癒したりという自然のパワーが備わっています。

そのお花のパワーを生かしながら“人の心を癒す”というのがフラワーセラピストの仕事です。

何故私がフラワーセラピストになったのか?というきっかけと経緯をこれからお話

させていただきます。

フラワーアレンジメントと出逢ったきっかけ

私がフラワーアレンジメントに出逢ったのは30年前のことです。
それまでは、花を生けて飾ると言えば日本では生け花だけでした。


ある日、雑誌の記事にフラワーアレンジメントの写真が載っていたのを初めて見て

衝撃を受けました!パステル調の繊細で美しい花々と洋風の華やかなデザインの写真に惹かれたのです。


地方の町の社宅生活の中で

その頃、私は中国地方のとある市に住んでいました。
結婚してから5年くらい住んでいたその家は、夫の会社名が付いた○○町の社宅でした。

結婚前の私は仙台市で生まれ育ち、仕事はピアノやリトミックの教師をしていました。

 

夫の仕事はその頃研究員でした。研究所は工場と一体化していて、広大な土地の中にあり

社宅も同じく場内にありました。
場所は地方の自然豊かな所でしたが、昔ながらの風習を重んじる閉鎖的な土地柄でした。


社宅の生活はよそから来た者にとってはなかなかなじみにくい上、決まり事が色々ありました。

 

例えば、毎月社宅の周辺の草刈りの日があって全員が強制的に参加しなくてはならないとか、

毎年持ち回りの役がたくさんあって、やるのが当然のような雰囲気の中、私も子供会の会長や

婦人部の役員など、7年間も毎年社宅と市内のために役員をやらされていました。 

もちろん子育てをしながらでしたので、当時かなりのフラストレーションを当時抱えていました。

社宅生活の窮屈さから、ひと時開放されたくて習い始めたのがフラワーアレンジメントでした。

子供が2人共幼稚園に行っている間に、隣町の教室まで友人と一緒にレッスンに通い始めました。

本当に花には毎回癒されました~!

唯一の楽しみだったので、7年間も続けられたのです。

 

12年ぶり!待ち焦がれた夫の転勤先は⁈

・・・そしてついに待ちに待ったこの日が来ました!!

夫の東京本社への転勤が決まったのです。\(^o^)/

引っ越し先は東京駅に通勤しやすい千葉市に決まりました。
千葉市での生活は人に干渉されることも縛りもなく全く自由でした。

落ち着いた頃に、渋谷の東急本店で開催されたフラワーアレンジメント展を見に行った時は

感動と開放感で満たされていました!

 

千葉市での生活。インテリアの仕事からフラワー講師へ変わるきっかけ

それから間もなく千葉市のホテルで、ブライダルを担当している教室でアレンジメントを習い始め

3年かけて認定講師の資格を取得しました。

その頃同時にカラーコーディネートの資格を取得したことから、最初大手住宅会社でインテリアを案内する

仕事をやっていました。しかし景気の落ち込みからその仕事は2年でなくなってしまいました。

 

次の仕事を探している時にたまたま新聞広告でみつけたのが、“フラワーアレンジメント講師募集”の

広告でした。10年間習ってはいたものの人に教えることなど考えてもいなかったので戸惑いましたが

ノウハウを指導してくださるということだったので始めてみようと思いました。

組織のトップデザイナーは、イギリス留学でフラワーアレンジメントのスキルをしっかり学んでき

来た人でした。

研修ではデザインだけではなく、あらゆる花の表現方法の他、花合わせやカラーコーディネートについても

惜しみなく指導してくださったその方は、人間性も素晴らしい人でしたので私の一番の恩師となりました。

 

フラワーアレンジメント全盛期

当時はフラワーアレンジメントが習い事では大人気でしたので、ちょっと広告を撒けば2~30人は集まりました。

市内4カ所で90人以上も生徒さんがいて、毎週のアレンジメントのレッスンで市内4カ所を

昼と夜、駆け回っていました。

毎年秋には展示会も行っていました。市立美術館や中央公園、文化会館などで作品展も行っていました。
たくさんの生徒さん達と関わるほどエピソードも色々あり、お花の癒し効果を益々感じていた頃でした。

 

上海での生活と花仕事

しかし、その仕事を7年間続けた時、突然夫の海外駐在が決まり、中国の上海市に行くことが決まったのです。 

子供たちは丁度東京の大学に通っていたので、2人で自炊することになり、私は夫に就いて上海で暮らすことになりました。


2005年から私は上海へ移り、市内の日本人居住地区で暮らすことになりました。

家は家具付きの広いマンションで、町内の管理棟にはコンシェルジュもいて、ゴルフ場やプール、レストラン

やスーパーなどもあり、800世帯もの日本人家族が暮らしていました。

ちょっと勘違いセレブの気分でいましたので、これをきっかけにこちらでは、上海バブルの生活を楽しもうと思っていたのです。

ところが、しばらくして日本人商工会議婦人部の方からアンケート用紙が届き、今までに日本で教えて来たことはないか? 

という質問があったので“フラワーアレンジメント”と書いたところ、次の日早速連絡が来て、

「お待ちしていました!」と歓迎されてしまいました。

話によると管理棟にあるカルチャーセンターで、少し前に前任講師が本帰国してしまったそうです。

‥ということで、行って間もなくまたフラワーアレンジメントのクラスを担当することになりました。

 

上海の花市場には、日系のお花屋さんも進出していて、日本語のできるスタッフもいましたので、花材の

調達もして頂いて、70名近い生徒さん達とすぐに毎週のレッスンが始まりました。

時々生徒さん達のアテンドで、上海の街巡りやお買い物もできて楽しい交流もできました。

2年後にはもっといろいろなご縁ができて、街の中心部に日本人や欧米人が通うスピリチャルなお店があり

こちらで“ヒーリングフラワー”というテーマでフラワーレッスンも行う事になり、上海タイムズにも掲載されました。
また、旧フランス租界のヨーロピアンな建築をリノベーションしたレストランでは、ブライダルフラワーを
担当させて頂き、仕事も益々忙しくなり充実していました。

 

日本人と中国人の大違いとは?

そんな上海での暮らしの中で、私がずっと感じていたことがありました。

それは日本人と中国人の民族性の違いという点です。

中国人の特徴は、どこでも遠慮なく大声で話をし、自己優先でなんでも我先にやってしまう。

またどんなに貧乏な人たちでも悲壮感を全く感じさせることなくて皆楽しそうに暮らしているのです。

それに対して日本人はモラルが高く、人への気遣いがあり、他人優先で素晴らしい面があるけれど、

一方遠慮がちで自己肯定感が低い人が多い。上海での暮らしが合わなくてうつ病になってしまい、

途中で帰国してしまう人もいました。

 

同じアジア系なのに歩く姿を見ればどちらかすぐにわかる、と私の知り合いの中国人が話していました。

歩行中の中国人の視線はまっすぐかやや上向き、それに対して日本人はやや前かがみで視線を落として歩くのが特徴だそうで

…なるほどです。

 

さて一方で、日本に一時帰国するたびに、耳にするニュースがありました。

最近うつ病の人が急増しているとのことでした。

また、CMでは「うつ病は心の風邪だから、薬を飲んで治しましょう!」と

その時私は日本人には、癒しが必要と感じました。

 

2011年大震災直後の本帰国

本帰国したのは2011年の3月、東日本大震災の直後でした。

住居の方も、地震のため液状化が酷かった新浦安の予定を変更して、東京の世田谷に住むことになりました。

 

6年半ぶりに帰国してみると、日本の様子はだいぶ変わっていました。

まずカルチャーセンターでは、習い事の種類が急増していて、フラワーアレンジメントのブームは

かなり去ってしまったような印象でした。

 

しかし私の中では、自分がやろうとしている事はこれからかも? と思っていたのです。

 

先ずはその頃ブームになりつつあるアーティフィシャルフラワーの認定講師の資格を取り、企業のイベント

等でレクチャーしていました。

その後、フラワーセラピストや花育、アートセラピー、フラワー風水、フラワーレメディーやカラーセラピー、

傾聴講座、心理カウンセラー等、花と心理学に関する認定資格を続けて取得しました。

 

日本に来て感じたこと

その頃全国的にうつ病の人がさらに急増して、医薬による副作用が問題になりさらなる症状に苦しむとい

う事態が浮上してきていました。

それと同時に医薬とは相反する代替療法やセラピーといいうことが話題性を呼んでいましたので、

私がこれからやりたいということと次第に結びついてきたのです。

 

2016年今度は夫が退職となり、千葉の関連会社に行くことになりました。

そして実に12年ぶりに千葉市に帰ることになったのです。

 

再び千葉市へ

千葉市に戻ってみると、花仕事は以前のようにちょっと広告を撒けば人が集まる時代は過ぎ去り、

ネット社会に変化していました。

先ず始めたのは、特別養護老人ホームでのフラワーアレンジメントの講師でした。

認知症のお年寄りたちに逢うのは初めてでした。はじめ無表情だった人たちが、お花を目の前にして

手に取った瞬間、表情が明らかに変わって目が輝き顔色が明るくなるのです!

また同時に昔の記憶がよみがえって来て、お花の名前を思い出しながら、娘時代の想い出や

実家に咲いていた花や両親のことまで話して下さり、花の癒し効果に手ごたえを感じました。

 

上海に行く前の生徒さん達ともLINEで繋がっていましたので、アーティフィシャルのクラス

再び立ち上がりました。

また新たに知り合いになった人と一緒にイベントやワークショップも始めました。

 

フラワーレッスンそしてセラピストしての新たな仕事

メンタルフローラルアドバイザー協会の認定校になってからは、資格取得のためのレッスンに

通って下さる生徒さんも次第に増える中、セラピーや心理学のレッスンではその方たちの過去の人生にも

向き合うこととなりました。

中には壮絶な子供時代を送り、そこから這い上がって頑張って今を生きていらっしゃる方もおられます。

過去のトラウマから、インナーチャイルドを抱えながら成人してご自分の離婚問題や夫婦関係に

影響を及ぼしている場合も多く、そのような方にはじっくり寄り添いながら一緒に問題解決に向けて

セッションを続け、良い方向に変わられている方が数人いらっしゃいます。

また、心理学と色彩心理を組み合わせた“色えんぴつカラーセラピーセッション”では、何人もの方のセッショ

を通して、普段意識していない潜在意識を知ることで、本当の自分の夢や希望に気づくお手伝いをさせて

頂いております。

フラワーセラピーサークルでは、季節の美しいお花に触れながら、瞑想をしたり、ご自分で自由に表現できる

デザインを提供しながら、お花の持つ癒し効果とパワーを感じて頂くレッスンを行っています。

 

小規模ではありますが、花を通して心のつながりを持つ時間を今も大切にしながら輪(和)を広げている最中です。

 

さらに近隣の人ばかりにとどまらずさらにリモートを使って、その輪を全国に広げていきたいという

私のさらなる想いが続いています。

 

ここまでお読み下さってありがとうございます。
心より感謝いたします。



柴田 麻矢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ⑧ 【 プロフィール 】

 

プロフィールの流れ

 

  • フラワーアレンジメントと出逢ったきっかけ
  • 地方の町の社宅生活の中で
  • 12年ぶり!待ち焦がれた夫の転勤先は?東京
  • 千葉市へ

千葉市での生活。インテリアの仕事からフラワー講師へ変わるきっかけ

  • フラワーアレンジメント全盛期
  • 上海へ

中国での生活

  • 日本人と中国人の大違いとは?
  • 2011年、震災直後の本帰国
  • 世田谷での生活
  • 日本に来て感じたこと。
  • フラワーセラピーとの出会い
  • 再び千葉市へ
  • 特別養護老人ホームでのフラワーレッスン
  • フラワーセラピーレッスン
  • フラワーセラピストの認定校になって、人の人生と向き合う
  • これからの花と私の役割について

 

*************************

 

私の仕事は現在“フラワーセラピスト”です。
以前はフラワーアレンジメントの講師を長年やってきました。

しかし今私は“セラピスト”だと自覚しています。

 

花には元々人を和ませたり、癒したりという自然のパワーが備わっています。

そのお花のパワーを生かしながら“人の心を癒す”というのがフラワーセラピストの仕事です。

 

何故私がフラワーセラピストになったのか?というきっかけと経緯をこれからお話

させていただきます。

 

 

私がフラワーアレンジメントに出逢ったのは30年前のことです。
それまでは、花を生けて飾ると言えば日本では生け花だけでした。


ある日、雑誌の記事にフラワーアレンジメントの写真が載っていたのを初めて見て

衝撃を受けました!パステル調の繊細で美しい花々と洋風の華やかなデザインの写真に惹かれたのです。

その頃、私は中国地方のとある市に住んでいました。
結婚してから5年くらい住んでいたその家は、夫の会社名が付いた○○町の社宅でした。

結婚前の私は仙台市で生まれ育ち、仕事はピアノやリトミックの教師をしていました。

 

夫の仕事はその頃研究員でした。研究所は工場と一体化していて、広大な土地の中にあり

社宅も同じく場内にありました。
場所は地方の自然豊かな所でしたが、昔ながらの風習を重んじる閉鎖的な土地柄でした。


社宅の生活はよそから来た者にとってはなかなかなじみにくい上、決まり事が色々ありました。

 

例えば、毎月社宅の周辺の草刈りの日があって全員が強制的に参加しなくてはならないとか、

毎年持ち回りの役がたくさんあって、やるのが当然のような雰囲気の中、私も子供会の会長や

婦人部の役員など、7年間も毎年社宅と市内のために役員をやらされていました。 

もちろん子育てをしながらでしたので、当時かなりのフラストレーションを当時抱えていました。

 

社宅生活の窮屈さから、ひと時開放されたくて習い始めたのがフラワーアレンジメントでした。

子供が2人共幼稚園に行っている間に、隣町の教室まで友人と一緒にレッスンに通い始めました。

本当に花には毎回癒されました~!

唯一の楽しみだったので、7年間も続けられたのです。

 

・・・そしてついに待ちに待ったこの日が来ました!!

夫の東京本社への転勤が決まったのです。\(^o^)/

引っ越し先は東京駅に通勤しやすい千葉市に決まりました。

 

落ち着いた頃に、渋谷の東急本店で開催されたフラワーアレンジメント展を見に行った時は

感動と開放感で満たされていました!

 

それから間もなく千葉市のホテルで、ブライダルを担当している教室でアレンジメントを習い始め

3年かけて認定講師の資格を取得しました。

その頃同時にカラーコーディネートの資格を取得したことから、最初大手住宅会社でインテリアを案内する

仕事をやっていました。しかし景気の落ち込みからその仕事は2年でなくなってしまいました。

 

次の仕事を探している時にたまたま新聞広告でみつけたのが、“フラワーアレンジメント講師募集”の

広告でした。10年間習ってはいたものの人に教えることなど考えてもいなかったので戸惑いましたが

ノウハウを指導してくださるということだったので始めてみようと思いました。

組織のトップデザイナーは、イギリス留学でフラワーアレンジメントのスキルをしっかり学んでき

来た人でした。

研修ではデザインだけではなく、あらゆる花の表現方法の他、花合わせやカラーコーディネートについても

惜しみなく指導してくださったその方は、人間性も素晴らしい人でしたので私の一番の恩師となりました。

 

当時はフラワーアレンジメントの全盛期でしたのでちょっと広告を撒けば2~30人は集まったので

市内4カ所で90人以上も生徒さんがいて、毎週のアレンジメントのレッスンで市内4カ所を

昼と夜、駆け回っていました。

毎年秋には展示会も行っていました。市立美術館や中央公園、文化会館などで作品展も行っていました。
たくさんの生徒さん達と関わるほどエピソードも色々あり、お花の癒し効果を益々感じていた頃でした。

 

しかし、その仕事を7年間続けた時、突然夫の海外駐在が決まり、中国の上海市に行くことが決まったのです。 子供たちは丁度東京の大学に通っていたので、2人で自炊することになり、私は夫に就いて上海で暮らすことになりました。


2005年から私は上海へ移り、市内の日本人居住地区で暮らすことになりました。

家は家具付きの広いマンションで、町内の管理棟にはコンシェルジュもいて、ゴルフ場やプール、レストラン

やスーパーなどもあり、800世帯もの日本人家族が暮らしていました。

ちょっと勘違いセレブの気分でいましたので、これをきっかけにこちらでは、上海バブルの生活を楽しもうと思っていたのです。

ところが、しばらくして日本人商工会議婦人部の方からアンケート用紙が届き、今までに日本で教えて来たことはないか? という質問があったので“フラワーアレンジメント”と書いたところ、次の日早速連絡が来て、

「お待ちしていました!」と歓迎されてしまいました。

 

話によると管理棟にあるカルチャーセンターで、少し前に前任講師が本帰国してしまったそうです。

‥ということで、行って間もなくまたフラワーアレンジメントのクラスを担当することになりました。

 

上海の花市場には、日系のお花屋さんも進出していて、日本語のできるスタッフもいましたので、花材の

調達もして頂いて、70名近い生徒さん達とすぐに毎週のレッスンが始まりました。

時々生徒さん達のアテンドで、上海の街巡りやお買い物もできて楽しい交流もできました。

 

2年後にはもっといろいろなご縁ができて、街の中心部に日本人や欧米人が通うスピリチャルなお店があり

こちらで“ヒーリングフラワー”というテーマでフラワーレッスンも行う事になり、上海タイムズにも掲載されました。
また、旧フランス租界のヨーロピアンな建築をリノベーションしたレストランでは、ブライダルフラワーを
担当させて頂き、仕事も益々忙しくなり充実していました。

 

そんな上海での暮らしの中で、私がずっと感じていたことがありました。

それは日本人と中国人の民族性の違いという点です。

中国人の特徴は、どこでも遠慮なく大声で話をし、自己優先でなんでも我先にやってしまう。

またどんなに貧乏な人たちでも悲壮感を全く感じさせることなくて皆楽しそうに暮らしているのです。

 

それに対して日本人は優しさや人への気遣いがあり、他人優先で素晴らしい面があるけれど、

一方遠慮がちで自己肯定感が低い人が多い。上海での暮らしが合わなくてうつ病になってしまい、

途中で帰国してしまう人もいました。

 

同じアジア系なのに歩く姿を見ればどちらかすぐにわかる、と私の知り合いの中国人が話していました。

歩行中の中国人の視線はまっすぐかやや上向き、それに対して日本人はやや前かがみで視線を落として歩くのが特徴だそうで…なるほどです。

 

さて一方で、日本に一時帰国するたびに、耳にするニュースがありました。

最近うつ病の人が急増しているとのことでした。

また、CMでは「うつ病は心の風邪だから、薬を飲んで治しましょう!」と

その時私は日本人には、癒しが必要と感じました。

 

本帰国したのは2011年の3月、東日本大震災の直後でした。

住居の方も、地震のため液状化が酷かった新浦安の予定を変更して東京の世田谷に住むことになりました。

 

6年半ぶりに帰国してみると、日本の様子はだいぶ変わっていました。

まずカルチャーセンターでは、習い事の種類が急増していて、フラワーアレンジメントのブームは

かなり去ってしまったような印象でした。

 

しかし私の中では、自分がやろうとしている事はこれからかも? と思っていたのです。

 

先ずはその頃ブームになりつつあるアーティフィシャルフラワーの認定講師の資格を取り、企業のイベント

等でレクチャーしていました。

その後、フラワーセラピストや花育、アートセラピー、フラワー風水、フラワーレメディーやカラーセラピー、傾聴講座、心理カウンセラー等、花と心理学に関する認定資格を続けて取得しました。

 

その頃全国的にうつ病の人がさらに急増して、医薬による副作用が問題になりさらなる症状に苦しむとい

う事態が浮上してきていました。

それと同時に医薬とは相反する代替療法やセラピーといいうことが話題性を呼んでいましたので、

私がこれからやりたいということと次第に結びついてきたのです。

 

2016年今度は夫が退職となり、千葉の関連会社に行くことになりました。

そして実に12年ぶりに千葉市に帰ることになったのです。

 

千葉市に戻ってみると、花仕事は以前のようにちょっと広告を撒けば人が集まる時代は過ぎ去り、

ネット社会に変化していました。

先ず始めたのは、特別養護老人ホームでのフラワーアレンジメントの講師でした。

認知症のお年寄りたちに逢うのは初めてでした。はじめ無表情だった人たちがお花を目の前にして

手に取った瞬間、表情が明らかに変わって目が輝き顔色が明るくなるのです!

また同時に昔の記憶がよみがえって来て、お花の名前を思い出しながら、娘時代の想い出や

実家に咲いていた花や両親のことまで話して下さり、花の癒し効果に手ごたえを感じました。

 

上海に行く前の生徒さん達ともLINEで繋がっていましたので、アーティフィシャルのクラスが

再び立ち上がりました。

また新たに知り合いになった人と一緒にイベントやワークショップも始めました。

 

そしてメンタルフローラルアドバイザー協会の認定校になってからは、資格取得のためのレッスンに

通って下さる生徒さんも次第に増える中、セラピーや心理学のレッスンの中ではその方たちの過去の人生にも

向き合うこととなりました。

中には壮絶な子供時代を送り、そこから這い上がって頑張って今を生きていらっしゃる方もおられます。

過去のトラウマから、インナーチャイルドを抱えながら成人してご自分の離婚問題や夫婦関係に

影響を及ぼしている場合も多く、そのような方にはじっくり寄り添いながら一緒に問題解決に向けて

セッションを続け、良い方向に変わられている方もいらっしゃいます。

また、心理学と色彩心理を組み合わせた“色えんぴつカラーセラピーセッション”では、何人もの方のセッショ

を通して、普段意識していない潜在意識を知ることで、本当の自分の夢や希望に気づくお手伝いをさせて

頂いております。

フラワーセラピーサークルでは、季節の美しいお花に触れながら、瞑想をしたり、ご自分で自由に表現できる

デザインを提供しながら、お花の持つ癒し効果とパワーを感じて頂くレッスンを行っています。

 

小規模ではありますが、花を通して心のつながりを持つ時間を今も広げている最中です。

 

さらに近隣の人ばかりにとどまらずさらにリモートを使って、その輪を全国に広げていきたいという

私の切なる想いが続いています。

 

ここまで、読下さって誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ⑧ 【 プロフィール 】

 

プロフィールの流れ

 

  • フラワーアレンジメントと出逢ったきっかけ
  • 地方の町の社宅生活の中で
  • 12年ぶり!待ち焦がれた夫の転勤先は?東京
  • 千葉市へ

千葉市での生活。インテリアの仕事からフラワー講師へ変わるきっかけ

  • フラワーアレンジメント全盛期
  • 上海へ

中国での生活

  • 日本人と中国人の大違いとは?
  • 2011年、震災直後の本帰国
  • 世田谷での生活
  • 日本に来て感じたこと。
  • フラワーセラピーとの出会い
  • 再び千葉市へ
  • 特別養護老人ホームでのフラワーレッスン
  • フラワーセラピーレッスン
  • フラワーセラピストの認定校になって、人の人生と向き合う
  • これからの花と私の役割について

 

*************************

 

私の仕事は現在“フラワーセラピスト”です。
以前はフラワーアレンジメントの講師を長年やってきました。

しかし今私は“セラピスト”だと自覚しています。

 

花には元々人を和ませたり、癒したりという自然のパワーが備わっています。

そのお花のパワーを生かしながら“人の心を癒す”というのがフラワーセラピストの仕事です。

 

何故私がフラワーセラピストになったのか?というきっかけと経緯をこれからお話

させていただきます。

 

 

私がフラワーアレンジメントに出逢ったのは30年前のことです。
それまでは、花を生けて飾ると言えば日本では生け花だけでした。


ある日、雑誌の記事にフラワーアレンジメントの写真が載っていたのを初めて見て

衝撃を受けました!パステル調の繊細で美しい花々と洋風の華やかなデザインの写真に惹かれたのです。

その頃、私は中国地方のとある市に住んでいました。
結婚してから5年くらい住んでいたその家は、夫の会社名が付いた○○町の社宅でした。

結婚前の私は仙台市で生まれ育ち、仕事はピアノやリトミックの教師をしていました。

 

夫の仕事はその頃研究員でした。研究所は工場と一体化していて、広大な土地の中にあり

社宅も同じく場内にありました。
場所は地方の自然豊かな所でしたが、昔ながらの風習を重んじる閉鎖的な土地柄でした。


社宅の生活はよそから来た者にとってはなかなかなじみにくい上、決まり事が色々ありました。

 

例えば、毎月社宅の周辺の草刈りの日があって全員が強制的に参加しなくてはならないとか、

毎年持ち回りの役がたくさんあって、やるのが当然のような雰囲気の中、私も子供会の会長や

婦人部の役員など、7年間も毎年社宅と市内のために役員をやらされていました。 

もちろん子育てをしながらでしたので、当時かなりのフラストレーションを当時抱えていました。

 

社宅生活の窮屈さから、ひと時開放されたくて習い始めたのがフラワーアレンジメントでした。

子供が2人共幼稚園に行っている間に、隣町の教室まで友人と一緒にレッスンに通い始めました。

本当に花には毎回癒されました~!

唯一の楽しみだったので、7年間も続けられたのです。

 

・・・そしてついに待ちに待ったこの日が来ました!!

夫の東京本社への転勤が決まったのです。\(^o^)/

引っ越し先は東京駅に通勤しやすい千葉市に決まりました。

 

落ち着いた頃に、渋谷の東急本店で開催されたフラワーアレンジメント展を見に行った時は

感動と開放感で満たされていました!

 

それから間もなく千葉市のホテルで、ブライダルを担当している教室でアレンジメントを習い始め

3年かけて認定講師の資格を取得しました。

その頃同時にカラーコーディネートの資格を取得したことから、最初大手住宅会社でインテリアを案内する

仕事をやっていました。しかし景気の落ち込みからその仕事は2年でなくなってしまいました。

 

次の仕事を探している時にたまたま新聞広告でみつけたのが、“フラワーアレンジメント講師募集”の

広告でした。10年間習ってはいたものの人に教えることなど考えてもいなかったので戸惑いましたが

ノウハウを指導してくださるということだったので始めてみようと思いました。

組織のトップデザイナーは、イギリス留学でフラワーアレンジメントのスキルをしっかり学んでき

来た人でした。

研修ではデザインだけではなく、あらゆる花の表現方法の他、花合わせやカラーコーディネートについても

惜しみなく指導してくださったその方は、人間性も素晴らしい人でしたので私の一番の恩師となりました。

 

当時はフラワーアレンジメントの全盛期でしたのでちょっと広告を撒けば2~30人は集まったので

市内4カ所で90人以上も生徒さんがいて、毎週のアレンジメントのレッスンで市内4カ所を

昼と夜、駆け回っていました。

毎年秋には展示会も行っていました。市立美術館や中央公園、文化会館などで作品展も行っていました。
たくさんの生徒さん達と関わるほどエピソードも色々あり、お花の癒し効果を益々感じていた頃でした。

 

しかし、その仕事を7年間続けた時、突然夫の海外駐在が決まり、中国の上海市に行くことが決まったのです。 子供たちは丁度東京の大学に通っていたので、2人で自炊することになり、私は夫に就いて上海で暮らすことになりました。


2005年から私は上海へ移り、市内の日本人居住地区で暮らすことになりました。

家は家具付きの広いマンションで、町内の管理棟にはコンシェルジュもいて、ゴルフ場やプール、レストラン

やスーパーなどもあり、800世帯もの日本人家族が暮らしていました。

ちょっと勘違いセレブの気分でいましたので、これをきっかけにこちらでは、上海バブルの生活を楽しもうと思っていたのです。

ところが、しばらくして日本人商工会議婦人部の方からアンケート用紙が届き、今までに日本で教えて来たことはないか? という質問があったので“フラワーアレンジメント”と書いたところ、次の日早速連絡が来て、

「お待ちしていました!」と歓迎されてしまいました。

 

話によると管理棟にあるカルチャーセンターで、少し前に前任講師が本帰国してしまったそうです。

‥ということで、行って間もなくまたフラワーアレンジメントのクラスを担当することになりました。

 

上海の花市場には、日系のお花屋さんも進出していて、日本語のできるスタッフもいましたので、花材の

調達もして頂いて、70名近い生徒さん達とすぐに毎週のレッスンが始まりました。

時々生徒さん達のアテンドで、上海の街巡りやお買い物もできて楽しい交流もできました。

 

2年後にはもっといろいろなご縁ができて、街の中心部に日本人や欧米人が通うスピリチャルなお店があり

こちらで“ヒーリングフラワー”というテーマでフラワーレッスンも行う事になり、上海タイムズにも掲載されました。
また、旧フランス租界のヨーロピアンな建築をリノベーションしたレストランでは、ブライダルフラワーを
担当させて頂き、仕事も益々忙しくなり充実していました。

 

そんな上海での暮らしの中で、私がずっと感じていたことがありました。

それは日本人と中国人の民族性の違いという点です。

中国人の特徴は、どこでも遠慮なく大声で話をし、自己優先でなんでも我先にやってしまう。

またどんなに貧乏な人たちでも悲壮感を全く感じさせることなくて皆楽しそうに暮らしているのです。

 

それに対して日本人は優しさや人への気遣いがあり、他人優先で素晴らしい面があるけれど、

一方遠慮がちで自己肯定感が低い人が多い。上海での暮らしが合わなくてうつ病になってしまい、

途中で帰国してしまう人もいました。

 

同じアジア系なのに歩く姿を見ればどちらかすぐにわかる、と私の知り合いの中国人が話していました。

歩行中の中国人の視線はまっすぐかやや上向き、それに対して日本人はやや前かがみで視線を落として歩くのが特徴だそうで…なるほどです。

 

さて一方で、日本に一時帰国するたびに、耳にするニュースがありました。

最近うつ病の人が急増しているとのことでした。

また、CMでは「うつ病は心の風邪だから、薬を飲んで治しましょう!」と

その時私は日本人には、癒しが必要と感じました。

 

本帰国したのは2011年の3月、東日本大震災の直後でした。

住居の方も、地震のため液状化が酷かった新浦安の予定を変更して東京の世田谷に住むことになりました。

 

6年半ぶりに帰国してみると、日本の様子はだいぶ変わっていました。

まずカルチャーセンターでは、習い事の種類が急増していて、フラワーアレンジメントのブームは

かなり去ってしまったような印象でした。

 

しかし私の中では、自分がやろうとしている事はこれからかも? と思っていたのです。

 

先ずはその頃ブームになりつつあるアーティフィシャルフラワーの認定講師の資格を取り、企業のイベント

等でレクチャーしていました。

その後、フラワーセラピストや花育、アートセラピー、フラワー風水、フラワーレメディーやカラーセラピー、傾聴講座、心理カウンセラー等、花と心理学に関する認定資格を続けて取得しました。

 

その頃全国的にうつ病の人がさらに急増して、医薬による副作用が問題になりさらなる症状に苦しむとい

う事態が浮上してきていました。

それと同時に医薬とは相反する代替療法やセラピーといいうことが話題性を呼んでいましたので、

私がこれからやりたいということと次第に結びついてきたのです。

 

2016年今度は夫が退職となり、千葉の関連会社に行くことになりました。

そして実に12年ぶりに千葉市に帰ることになったのです。

 

千葉市に戻ってみると、花仕事は以前のようにちょっと広告を撒けば人が集まる時代は過ぎ去り、

ネット社会に変化していました。

先ず始めたのは、特別養護老人ホームでのフラワーアレンジメントの講師でした。

認知症のお年寄りたちに逢うのは初めてでした。はじめ無表情だった人たちがお花を目の前にして

手に取った瞬間、表情が明らかに変わって目が輝き顔色が明るくなるのです!

また同時に昔の記憶がよみがえって来て、お花の名前を思い出しながら、娘時代の想い出や

実家に咲いていた花や両親のことまで話して下さり、花の癒し効果に手ごたえを感じました。

 

上海に行く前の生徒さん達ともLINEで繋がっていましたので、アーティフィシャルのクラスが

再び立ち上がりました。

また新たに知り合いになった人と一緒にイベントやワークショップも始めました。

 

そしてメンタルフローラルアドバイザー協会の認定校になってからは、資格取得のためのレッスンに

通って下さる生徒さんも次第に増える中、セラピーや心理学のレッスンの中ではその方たちの過去の人生にも

向き合うこととなりました。

中には壮絶な子供時代を送り、そこから這い上がって頑張って今を生きていらっしゃる方もおられます。

過去のトラウマから、インナーチャイルドを抱えながら成人してご自分の離婚問題や夫婦関係に

影響を及ぼしている場合も多く、そのような方にはじっくり寄り添いながら一緒に問題解決に向けて

セッションを続け、良い方向に変わられている方もいらっしゃいます。

また、心理学と色彩心理を組み合わせた“色えんぴつカラーセラピーセッション”では、何人もの方のセッショ

を通して、普段意識していない潜在意識を知ることで、本当の自分の夢や希望に気づくお手伝いをさせて

頂いております。

フラワーセラピーサークルでは、季節の美しいお花に触れながら、瞑想をしたり、ご自分で自由に表現できる

デザインを提供しながら、お花の持つ癒し効果とパワーを感じて頂くレッスンを行っています。

 

小規模ではありますが、花を通して心のつながりを持つ時間を今も広げている最中です。

 

さらに近隣の人ばかりにとどまらずさらにリモートを使って、その輪を全国に広げていきたいという

私の切なる想いが続いています。

 

ここまで、読下さって誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ⑧ 【 プロフィール 】

 

プロフィールの流れ

 

  • フラワーアレンジメントと出逢ったきっかけ
  • 地方の町の社宅生活の中で
  • 12年ぶり!待ち焦がれた夫の転勤先は?東京
  • 千葉市へ

千葉市での生活。インテリアの仕事からフラワー講師へ変わるきっかけ

  • フラワーアレンジメント全盛期
  • 上海へ

中国での生活

  • 日本人と中国人の大違いとは?
  • 2011年、震災直後の本帰国
  • 世田谷での生活
  • 日本に来て感じたこと。
  • フラワーセラピーとの出会い
  • 再び千葉市へ
  • 特別養護老人ホームでのフラワーレッスン
  • フラワーセラピーレッスン
  • フラワーセラピストの認定校になって、人の人生と向き合う
  • これからの花と私の役割について

 

*************************

 

私の仕事は現在“フラワーセラピスト”です。
以前はフラワーアレンジメントの講師を長年やってきました。

しかし今私は“セラピスト”だと自覚しています。

 

花には元々人を和ませたり、癒したりという自然のパワーが備わっています。

そのお花のパワーを生かしながら“人の心を癒す”というのがフラワーセラピストの仕事です。

 

何故私がフラワーセラピストになったのか?というきっかけと経緯をこれからお話

させていただきます。

 

 

私がフラワーアレンジメントに出逢ったのは30年前のことです。
それまでは、花を生けて飾ると言えば日本では生け花だけでした。


ある日、雑誌の記事にフラワーアレンジメントの写真が載っていたのを初めて見て

衝撃を受けました!パステル調の繊細で美しい花々と洋風の華やかなデザインの写真に惹かれたのです。

その頃、私は中国地方のとある市に住んでいました。
結婚してから5年くらい住んでいたその家は、夫の会社名が付いた○○町の社宅でした。

結婚前の私は仙台市で生まれ育ち、仕事はピアノやリトミックの教師をしていました。

 

夫の仕事はその頃研究員でした。研究所は工場と一体化していて、広大な土地の中にあり

社宅も同じく場内にありました。
場所は地方の自然豊かな所でしたが、昔ながらの風習を重んじる閉鎖的な土地柄でした。


社宅の生活はよそから来た者にとってはなかなかなじみにくい上、決まり事が色々ありました。

 

例えば、毎月社宅の周辺の草刈りの日があって全員が強制的に参加しなくてはならないとか、

毎年持ち回りの役がたくさんあって、やるのが当然のような雰囲気の中、私も子供会の会長や

婦人部の役員など、7年間も毎年社宅と市内のために役員をやらされていました。 

もちろん子育てをしながらでしたので、当時かなりのフラストレーションを当時抱えていました。

 

社宅生活の窮屈さから、ひと時開放されたくて習い始めたのがフラワーアレンジメントでした。

子供が2人共幼稚園に行っている間に、隣町の教室まで友人と一緒にレッスンに通い始めました。

本当に花には毎回癒されました~!

唯一の楽しみだったので、7年間も続けられたのです。

 

・・・そしてついに待ちに待ったこの日が来ました!!

夫の東京本社への転勤が決まったのです。\(^o^)/

引っ越し先は東京駅に通勤しやすい千葉市に決まりました。

 

落ち着いた頃に、渋谷の東急本店で開催されたフラワーアレンジメント展を見に行った時は

感動と開放感で満たされていました!

 

それから間もなく千葉市のホテルで、ブライダルを担当している教室でアレンジメントを習い始め

3年かけて認定講師の資格を取得しました。

その頃同時にカラーコーディネートの資格を取得したことから、最初大手住宅会社でインテリアを案内する

仕事をやっていました。しかし景気の落ち込みからその仕事は2年でなくなってしまいました。

 

次の仕事を探している時にたまたま新聞広告でみつけたのが、“フラワーアレンジメント講師募集”の

広告でした。10年間習ってはいたものの人に教えることなど考えてもいなかったので戸惑いましたが

ノウハウを指導してくださるということだったので始めてみようと思いました。

組織のトップデザイナーは、イギリス留学でフラワーアレンジメントのスキルをしっかり学んでき

来た人でした。

研修ではデザインだけではなく、あらゆる花の表現方法の他、花合わせやカラーコーディネートについても

惜しみなく指導してくださったその方は、人間性も素晴らしい人でしたので私の一番の恩師となりました。

 

当時はフラワーアレンジメントの全盛期でしたのでちょっと広告を撒けば2~30人は集まったので

市内4カ所で90人以上も生徒さんがいて、毎週のアレンジメントのレッスンで市内4カ所を

昼と夜、駆け回っていました。

毎年秋には展示会も行っていました。市立美術館や中央公園、文化会館などで作品展も行っていました。
たくさんの生徒さん達と関わるほどエピソードも色々あり、お花の癒し効果を益々感じていた頃でした。

 

しかし、その仕事を7年間続けた時、突然夫の海外駐在が決まり、中国の上海市に行くことが決まったのです。 子供たちは丁度東京の大学に通っていたので、2人で自炊することになり、私は夫に就いて上海で暮らすことになりました。


2005年から私は上海へ移り、市内の日本人居住地区で暮らすことになりました。

家は家具付きの広いマンションで、町内の管理棟にはコンシェルジュもいて、ゴルフ場やプール、レストラン

やスーパーなどもあり、800世帯もの日本人家族が暮らしていました。

ちょっと勘違いセレブの気分でいましたので、これをきっかけにこちらでは、上海バブルの生活を楽しもうと思っていたのです。

ところが、しばらくして日本人商工会議婦人部の方からアンケート用紙が届き、今までに日本で教えて来たことはないか? という質問があったので“フラワーアレンジメント”と書いたところ、次の日早速連絡が来て、

「お待ちしていました!」と歓迎されてしまいました。

 

話によると管理棟にあるカルチャーセンターで、少し前に前任講師が本帰国してしまったそうです。

‥ということで、行って間もなくまたフラワーアレンジメントのクラスを担当することになりました。

 

上海の花市場には、日系のお花屋さんも進出していて、日本語のできるスタッフもいましたので、花材の

調達もして頂いて、70名近い生徒さん達とすぐに毎週のレッスンが始まりました。

時々生徒さん達のアテンドで、上海の街巡りやお買い物もできて楽しい交流もできました。

 

2年後にはもっといろいろなご縁ができて、街の中心部に日本人や欧米人が通うスピリチャルなお店があり

こちらで“ヒーリングフラワー”というテーマでフラワーレッスンも行う事になり、上海タイムズにも掲載されました。
また、旧フランス租界のヨーロピアンな建築をリノベーションしたレストランでは、ブライダルフラワーを
担当させて頂き、仕事も益々忙しくなり充実していました。

 

そんな上海での暮らしの中で、私がずっと感じていたことがありました。

それは日本人と中国人の民族性の違いという点です。

中国人の特徴は、どこでも遠慮なく大声で話をし、自己優先でなんでも我先にやってしまう。

またどんなに貧乏な人たちでも悲壮感を全く感じさせることなくて皆楽しそうに暮らしているのです。

 

それに対して日本人は優しさや人への気遣いがあり、他人優先で素晴らしい面があるけれど、

一方遠慮がちで自己肯定感が低い人が多い。上海での暮らしが合わなくてうつ病になってしまい、

途中で帰国してしまう人もいました。

 

同じアジア系なのに歩く姿を見ればどちらかすぐにわかる、と私の知り合いの中国人が話していました。

歩行中の中国人の視線はまっすぐかやや上向き、それに対して日本人はやや前かがみで視線を落として歩くのが特徴だそうで…なるほどです。

 

さて一方で、日本に一時帰国するたびに、耳にするニュースがありました。

最近うつ病の人が急増しているとのことでした。

また、CMでは「うつ病は心の風邪だから、薬を飲んで治しましょう!」と

その時私は日本人には、癒しが必要と感じました。

 

本帰国したのは2011年の3月、東日本大震災の直後でした。

住居の方も、地震のため液状化が酷かった新浦安の予定を変更して東京の世田谷に住むことになりました。

 

6年半ぶりに帰国してみると、日本の様子はだいぶ変わっていました。

まずカルチャーセンターでは、習い事の種類が急増していて、フラワーアレンジメントのブームは

かなり去ってしまったような印象でした。

 

しかし私の中では、自分がやろうとしている事はこれからかも? と思っていたのです。

 

先ずはその頃ブームになりつつあるアーティフィシャルフラワーの認定講師の資格を取り、企業のイベント

等でレクチャーしていました。

その後、フラワーセラピストや花育、アートセラピー、フラワー風水、フラワーレメディーやカラーセラピー、傾聴講座、心理カウンセラー等、花と心理学に関する認定資格を続けて取得しました。

 

その頃全国的にうつ病の人がさらに急増して、医薬による副作用が問題になりさらなる症状に苦しむとい

う事態が浮上してきていました。

それと同時に医薬とは相反する代替療法やセラピーといいうことが話題性を呼んでいましたので、

私がこれからやりたいということと次第に結びついてきたのです。

 

2016年今度は夫が退職となり、千葉の関連会社に行くことになりました。

そして実に12年ぶりに千葉市に帰ることになったのです。

 

千葉市に戻ってみると、花仕事は以前のようにちょっと広告を撒けば人が集まる時代は過ぎ去り、

ネット社会に変化していました。

先ず始めたのは、特別養護老人ホームでのフラワーアレンジメントの講師でした。

認知症のお年寄りたちに逢うのは初めてでした。はじめ無表情だった人たちがお花を目の前にして

手に取った瞬間、表情が明らかに変わって目が輝き顔色が明るくなるのです!

また同時に昔の記憶がよみがえって来て、お花の名前を思い出しながら、娘時代の想い出や

実家に咲いていた花や両親のことまで話して下さり、花の癒し効果に手ごたえを感じました。

 

上海に行く前の生徒さん達ともLINEで繋がっていましたので、アーティフィシャルのクラスが

再び立ち上がりました。

また新たに知り合いになった人と一緒にイベントやワークショップも始めました。

 

そしてメンタルフローラルアドバイザー協会の認定校になってからは、資格取得のためのレッスンに

通って下さる生徒さんも次第に増える中、セラピーや心理学のレッスンの中ではその方たちの過去の人生にも

向き合うこととなりました。

中には壮絶な子供時代を送り、そこから這い上がって頑張って今を生きていらっしゃる方もおられます。

過去のトラウマから、インナーチャイルドを抱えながら成人してご自分の離婚問題や夫婦関係に

影響を及ぼしている場合も多く、そのような方にはじっくり寄り添いながら一緒に問題解決に向けて

セッションを続け、良い方向に変わられている方もいらっしゃいます。

また、心理学と色彩心理を組み合わせた“色えんぴつカラーセラピーセッション”では、何人もの方のセッショ

を通して、普段意識していない潜在意識を知ることで、本当の自分の夢や希望に気づくお手伝いをさせて

頂いております。

フラワーセラピーサークルでは、季節の美しいお花に触れながら、瞑想をしたり、ご自分で自由に表現できる

デザインを提供しながら、お花の持つ癒し効果とパワーを感じて頂くレッスンを行っています。

 

小規模ではありますが、花を通して心のつながりを持つ時間を今も広げている最中です。

 

さらに近隣の人ばかりにとどまらずさらにリモートを使って、その輪を全国に広げていきたいという

私の切なる想いが続いています。

 

ここまで、読下さって誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ⑧ 【 プロフィール 】

 

プロフィールの流れ

 

  • フラワーアレンジメントと出逢ったきっかけ
  • 地方の町の社宅生活の中で
  • 12年ぶり!待ち焦がれた夫の転勤先は?東京
  • 千葉市へ

千葉市での生活。インテリアの仕事からフラワー講師へ変わるきっかけ

  • フラワーアレンジメント全盛期
  • 上海へ

中国での生活

  • 日本人と中国人の大違いとは?
  • 2011年、震災直後の本帰国
  • 世田谷での生活
  • 日本に来て感じたこと。
  • フラワーセラピーとの出会い
  • 再び千葉市へ
  • 特別養護老人ホームでのフラワーレッスン
  • フラワーセラピーレッスン
  • フラワーセラピストの認定校になって、人の人生と向き合う
  • これからの花と私の役割について

 

*************************

 

私の仕事は現在“フラワーセラピスト”です。
以前はフラワーアレンジメントの講師を長年やってきました。

しかし今私は“セラピスト”だと自覚しています。

 

花には元々人を和ませたり、癒したりという自然のパワーが備わっています。

そのお花のパワーを生かしながら“人の心を癒す”というのがフラワーセラピストの仕事です。

 

何故私がフラワーセラピストになったのか?というきっかけと経緯をこれからお話

させていただきます。

 

 

私がフラワーアレンジメントに出逢ったのは30年前のことです。
それまでは、花を生けて飾ると言えば日本では生け花だけでした。


ある日、雑誌の記事にフラワーアレンジメントの写真が載っていたのを初めて見て

衝撃を受けました!パステル調の繊細で美しい花々と洋風の華やかなデザインの写真に惹かれたのです。

その頃、私は中国地方のとある市に住んでいました。
結婚してから5年くらい住んでいたその家は、夫の会社名が付いた○○町の社宅でした。

結婚前の私は仙台市で生まれ育ち、仕事はピアノやリトミックの教師をしていました。

 

夫の仕事はその頃研究員でした。研究所は工場と一体化していて、広大な土地の中にあり

社宅も同じく場内にありました。
場所は地方の自然豊かな所でしたが、昔ながらの風習を重んじる閉鎖的な土地柄でした。


社宅の生活はよそから来た者にとってはなかなかなじみにくい上、決まり事が色々ありました。

 

例えば、毎月社宅の周辺の草刈りの日があって全員が強制的に参加しなくてはならないとか、

毎年持ち回りの役がたくさんあって、やるのが当然のような雰囲気の中、私も子供会の会長や

婦人部の役員など、7年間も毎年社宅と市内のために役員をやらされていました。 

もちろん子育てをしながらでしたので、当時かなりのフラストレーションを当時抱えていました。

 

社宅生活の窮屈さから、ひと時開放されたくて習い始めたのがフラワーアレンジメントでした。

子供が2人共幼稚園に行っている間に、隣町の教室まで友人と一緒にレッスンに通い始めました。

本当に花には毎回癒されました~!

唯一の楽しみだったので、7年間も続けられたのです。

 

・・・そしてついに待ちに待ったこの日が来ました!!

夫の東京本社への転勤が決まったのです。\(^o^)/

引っ越し先は東京駅に通勤しやすい千葉市に決まりました。

 

落ち着いた頃に、渋谷の東急本店で開催されたフラワーアレンジメント展を見に行った時は

感動と開放感で満たされていました!

 

それから間もなく千葉市のホテルで、ブライダルを担当している教室でアレンジメントを習い始め

3年かけて認定講師の資格を取得しました。

その頃同時にカラーコーディネートの資格を取得したことから、最初大手住宅会社でインテリアを案内する

仕事をやっていました。しかし景気の落ち込みからその仕事は2年でなくなってしまいました。

 

次の仕事を探している時にたまたま新聞広告でみつけたのが、“フラワーアレンジメント講師募集”の

広告でした。10年間習ってはいたものの人に教えることなど考えてもいなかったので戸惑いましたが

ノウハウを指導してくださるということだったので始めてみようと思いました。

組織のトップデザイナーは、イギリス留学でフラワーアレンジメントのスキルをしっかり学んでき

来た人でした。

研修ではデザインだけではなく、あらゆる花の表現方法の他、花合わせやカラーコーディネートについても

惜しみなく指導してくださったその方は、人間性も素晴らしい人でしたので私の一番の恩師となりました。

 

当時はフラワーアレンジメントの全盛期でしたのでちょっと広告を撒けば2~30人は集まったので

市内4カ所で90人以上も生徒さんがいて、毎週のアレンジメントのレッスンで市内4カ所を

昼と夜、駆け回っていました。

毎年秋には展示会も行っていました。市立美術館や中央公園、文化会館などで作品展も行っていました。
たくさんの生徒さん達と関わるほどエピソードも色々あり、お花の癒し効果を益々感じていた頃でした。

 

しかし、その仕事を7年間続けた時、突然夫の海外駐在が決まり、中国の上海市に行くことが決まったのです。 子供たちは丁度東京の大学に通っていたので、2人で自炊することになり、私は夫に就いて上海で暮らすことになりました。


2005年から私は上海へ移り、市内の日本人居住地区で暮らすことになりました。

家は家具付きの広いマンションで、町内の管理棟にはコンシェルジュもいて、ゴルフ場やプール、レストラン

やスーパーなどもあり、800世帯もの日本人家族が暮らしていました。

ちょっと勘違いセレブの気分でいましたので、これをきっかけにこちらでは、上海バブルの生活を楽しもうと思っていたのです。

ところが、しばらくして日本人商工会議婦人部の方からアンケート用紙が届き、今までに日本で教えて来たことはないか? という質問があったので“フラワーアレンジメント”と書いたところ、次の日早速連絡が来て、

「お待ちしていました!」と歓迎されてしまいました。

 

話によると管理棟にあるカルチャーセンターで、少し前に前任講師が本帰国してしまったそうです。

‥ということで、行って間もなくまたフラワーアレンジメントのクラスを担当することになりました。

 

上海の花市場には、日系のお花屋さんも進出していて、日本語のできるスタッフもいましたので、花材の

調達もして頂いて、70名近い生徒さん達とすぐに毎週のレッスンが始まりました。

時々生徒さん達のアテンドで、上海の街巡りやお買い物もできて楽しい交流もできました。

 

2年後にはもっといろいろなご縁ができて、街の中心部に日本人や欧米人が通うスピリチャルなお店があり

こちらで“ヒーリングフラワー”というテーマでフラワーレッスンも行う事になり、上海タイムズにも掲載されました。
また、旧フランス租界のヨーロピアンな建築をリノベーションしたレストランでは、ブライダルフラワーを
担当させて頂き、仕事も益々忙しくなり充実していました。

 

そんな上海での暮らしの中で、私がずっと感じていたことがありました。

それは日本人と中国人の民族性の違いという点です。

中国人の特徴は、どこでも遠慮なく大声で話をし、自己優先でなんでも我先にやってしまう。

またどんなに貧乏な人たちでも悲壮感を全く感じさせることなくて皆楽しそうに暮らしているのです。

 

それに対して日本人は優しさや人への気遣いがあり、他人優先で素晴らしい面があるけれど、

一方遠慮がちで自己肯定感が低い人が多い。上海での暮らしが合わなくてうつ病になってしまい、

途中で帰国してしまう人もいました。

 

同じアジア系なのに歩く姿を見ればどちらかすぐにわかる、と私の知り合いの中国人が話していました。

歩行中の中国人の視線はまっすぐかやや上向き、それに対して日本人はやや前かがみで視線を落として歩くのが特徴だそうで…なるほどです。

 

さて一方で、日本に一時帰国するたびに、耳にするニュースがありました。

最近うつ病の人が急増しているとのことでした。

また、CMでは「うつ病は心の風邪だから、薬を飲んで治しましょう!」と

その時私は日本人には、癒しが必要と感じました。

 

本帰国したのは2011年の3月、東日本大震災の直後でした。

住居の方も、地震のため液状化が酷かった新浦安の予定を変更して東京の世田谷に住むことになりました。

 

6年半ぶりに帰国してみると、日本の様子はだいぶ変わっていました。

まずカルチャーセンターでは、習い事の種類が急増していて、フラワーアレンジメントのブームは

かなり去ってしまったような印象でした。

 

しかし私の中では、自分がやろうとしている事はこれからかも? と思っていたのです。

 

先ずはその頃ブームになりつつあるアーティフィシャルフラワーの認定講師の資格を取り、企業のイベント

等でレクチャーしていました。

その後、フラワーセラピストや花育、アートセラピー、フラワー風水、フラワーレメディーやカラーセラピー、傾聴講座、心理カウンセラー等、花と心理学に関する認定資格を続けて取得しました。

 

その頃全国的にうつ病の人がさらに急増して、医薬による副作用が問題になりさらなる症状に苦しむとい

う事態が浮上してきていました。

それと同時に医薬とは相反する代替療法やセラピーといいうことが話題性を呼んでいましたので、

私がこれからやりたいということと次第に結びついてきたのです。

 

2016年今度は夫が退職となり、千葉の関連会社に行くことになりました。

そして実に12年ぶりに千葉市に帰ることになったのです。

 

千葉市に戻ってみると、花仕事は以前のようにちょっと広告を撒けば人が集まる時代は過ぎ去り、

ネット社会に変化していました。

先ず始めたのは、特別養護老人ホームでのフラワーアレンジメントの講師でした。

認知症のお年寄りたちに逢うのは初めてでした。はじめ無表情だった人たちがお花を目の前にして

手に取った瞬間、表情が明らかに変わって目が輝き顔色が明るくなるのです!

また同時に昔の記憶がよみがえって来て、お花の名前を思い出しながら、娘時代の想い出や

実家に咲いていた花や両親のことまで話して下さり、花の癒し効果に手ごたえを感じました。

 

上海に行く前の生徒さん達ともLINEで繋がっていましたので、アーティフィシャルのクラスが

再び立ち上がりました。

また新たに知り合いになった人と一緒にイベントやワークショップも始めました。

 

そしてメンタルフローラルアドバイザー協会の認定校になってからは、資格取得のためのレッスンに

通って下さる生徒さんも次第に増える中、セラピーや心理学のレッスンの中ではその方たちの過去の人生にも

向き合うこととなりました。

中には壮絶な子供時代を送り、そこから這い上がって頑張って今を生きていらっしゃる方もおられます。

過去のトラウマから、インナーチャイルドを抱えながら成人してご自分の離婚問題や夫婦関係に

影響を及ぼしている場合も多く、そのような方にはじっくり寄り添いながら一緒に問題解決に向けて

セッションを続け、良い方向に変わられている方もいらっしゃいます。

また、心理学と色彩心理を組み合わせた“色えんぴつカラーセラピーセッション”では、何人もの方のセッショ

を通して、普段意識していない潜在意識を知ることで、本当の自分の夢や希望に気づくお手伝いをさせて

頂いております。

フラワーセラピーサークルでは、季節の美しいお花に触れながら、瞑想をしたり、ご自分で自由に表現できる

デザインを提供しながら、お花の持つ癒し効果とパワーを感じて頂くレッスンを行っています。

 

小規模ではありますが、花を通して心のつながりを持つ時間を今も広げている最中です。

 

さらに近隣の人ばかりにとどまらずさらにリモートを使って、その輪を全国に広げていきたいという

私の切なる想いが続いています。

 

ここまで、読下さって誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ⑧ 【 プロフィール 】

 

プロフィールの流れ

 

  • フラワーアレンジメントと出逢ったきっかけ
  • 地方の町の社宅生活の中で
  • 12年ぶり!待ち焦がれた夫の転勤先は?東京
  • 千葉市へ

千葉市での生活。インテリアの仕事からフラワー講師へ変わるきっかけ

  • フラワーアレンジメント全盛期
  • 上海へ

中国での生活

  • 日本人と中国人の大違いとは?
  • 2011年、震災直後の本帰国
  • 世田谷での生活
  • 日本に来て感じたこと。
  • フラワーセラピーとの出会い
  • 再び千葉市へ
  • 特別養護老人ホームでのフラワーレッスン
  • フラワーセラピーレッスン
  • フラワーセラピストの認定校になって、人の人生と向き合う
  • これからの花と私の役割について

 

*************************

 

私の仕事は現在“フラワーセラピスト”です。
以前はフラワーアレンジメントの講師を長年やってきました。

しかし今私は“セラピスト”だと自覚しています。

 

花には元々人を和ませたり、癒したりという自然のパワーが備わっています。

そのお花のパワーを生かしながら“人の心を癒す”というのがフラワーセラピストの仕事です。

 

何故私がフラワーセラピストになったのか?というきっかけと経緯をこれからお話

させていただきます。

 

 

私がフラワーアレンジメントに出逢ったのは30年前のことです。
それまでは、花を生けて飾ると言えば日本では生け花だけでした。


ある日、雑誌の記事にフラワーアレンジメントの写真が載っていたのを初めて見て

衝撃を受けました!パステル調の繊細で美しい花々と洋風の華やかなデザインの写真に惹かれたのです。

その頃、私は中国地方のとある市に住んでいました。
結婚してから5年くらい住んでいたその家は、夫の会社名が付いた○○町の社宅でした。

結婚前の私は仙台市で生まれ育ち、仕事はピアノやリトミックの教師をしていました。

 

夫の仕事はその頃研究員でした。研究所は工場と一体化していて、広大な土地の中にあり

社宅も同じく場内にありました。
場所は地方の自然豊かな所でしたが、昔ながらの風習を重んじる閉鎖的な土地柄でした。


社宅の生活はよそから来た者にとってはなかなかなじみにくい上、決まり事が色々ありました。

 

例えば、毎月社宅の周辺の草刈りの日があって全員が強制的に参加しなくてはならないとか、

毎年持ち回りの役がたくさんあって、やるのが当然のような雰囲気の中、私も子供会の会長や

婦人部の役員など、7年間も毎年社宅と市内のために役員をやらされていました。 

もちろん子育てをしながらでしたので、当時かなりのフラストレーションを当時抱えていました。

 

社宅生活の窮屈さから、ひと時開放されたくて習い始めたのがフラワーアレンジメントでした。

子供が2人共幼稚園に行っている間に、隣町の教室まで友人と一緒にレッスンに通い始めました。

本当に花には毎回癒されました~!

唯一の楽しみだったので、7年間も続けられたのです。

 

・・・そしてついに待ちに待ったこの日が来ました!!

夫の東京本社への転勤が決まったのです。\(^o^)/

引っ越し先は東京駅に通勤しやすい千葉市に決まりました。

 

落ち着いた頃に、渋谷の東急本店で開催されたフラワーアレンジメント展を見に行った時は

感動と開放感で満たされていました!

 

それから間もなく千葉市のホテルで、ブライダルを担当している教室でアレンジメントを習い始め

3年かけて認定講師の資格を取得しました。

その頃同時にカラーコーディネートの資格を取得したことから、最初大手住宅会社でインテリアを案内する

仕事をやっていました。しかし景気の落ち込みからその仕事は2年でなくなってしまいました。

 

次の仕事を探している時にたまたま新聞広告でみつけたのが、“フラワーアレンジメント講師募集”の

広告でした。10年間習ってはいたものの人に教えることなど考えてもいなかったので戸惑いましたが

ノウハウを指導してくださるということだったので始めてみようと思いました。

組織のトップデザイナーは、イギリス留学でフラワーアレンジメントのスキルをしっかり学んでき

来た人でした。

研修ではデザインだけではなく、あらゆる花の表現方法の他、花合わせやカラーコーディネートについても

惜しみなく指導してくださったその方は、人間性も素晴らしい人でしたので私の一番の恩師となりました。

 

当時はフラワーアレンジメントの全盛期でしたのでちょっと広告を撒けば2~30人は集まったので

市内4カ所で90人以上も生徒さんがいて、毎週のアレンジメントのレッスンで市内4カ所を

昼と夜、駆け回っていました。

毎年秋には展示会も行っていました。市立美術館や中央公園、文化会館などで作品展も行っていました。
たくさんの生徒さん達と関わるほどエピソードも色々あり、お花の癒し効果を益々感じていた頃でした。

 

しかし、その仕事を7年間続けた時、突然夫の海外駐在が決まり、中国の上海市に行くことが決まったのです。 子供たちは丁度東京の大学に通っていたので、2人で自炊することになり、私は夫に就いて上海で暮らすことになりました。


2005年から私は上海へ移り、市内の日本人居住地区で暮らすことになりました。

家は家具付きの広いマンションで、町内の管理棟にはコンシェルジュもいて、ゴルフ場やプール、レストラン

やスーパーなどもあり、800世帯もの日本人家族が暮らしていました。

ちょっと勘違いセレブの気分でいましたので、これをきっかけにこちらでは、上海バブルの生活を楽しもうと思っていたのです。

ところが、しばらくして日本人商工会議婦人部の方からアンケート用紙が届き、今までに日本で教えて来たことはないか? という質問があったので“フラワーアレンジメント”と書いたところ、次の日早速連絡が来て、

「お待ちしていました!」と歓迎されてしまいました。

 

話によると管理棟にあるカルチャーセンターで、少し前に前任講師が本帰国してしまったそうです。

‥ということで、行って間もなくまたフラワーアレンジメントのクラスを担当することになりました。

 

上海の花市場には、日系のお花屋さんも進出していて、日本語のできるスタッフもいましたので、花材の

調達もして頂いて、70名近い生徒さん達とすぐに毎週のレッスンが始まりました。

時々生徒さん達のアテンドで、上海の街巡りやお買い物もできて楽しい交流もできました。

 

2年後にはもっといろいろなご縁ができて、街の中心部に日本人や欧米人が通うスピリチャルなお店があり

こちらで“ヒーリングフラワー”というテーマでフラワーレッスンも行う事になり、上海タイムズにも掲載されました。
また、旧フランス租界のヨーロピアンな建築をリノベーションしたレストランでは、ブライダルフラワーを
担当させて頂き、仕事も益々忙しくなり充実していました。

 

そんな上海での暮らしの中で、私がずっと感じていたことがありました。

それは日本人と中国人の民族性の違いという点です。

中国人の特徴は、どこでも遠慮なく大声で話をし、自己優先でなんでも我先にやってしまう。

またどんなに貧乏な人たちでも悲壮感を全く感じさせることなくて皆楽しそうに暮らしているのです。

 

それに対して日本人は優しさや人への気遣いがあり、他人優先で素晴らしい面があるけれど、

一方遠慮がちで自己肯定感が低い人が多い。上海での暮らしが合わなくてうつ病になってしまい、

途中で帰国してしまう人もいました。

 

同じアジア系なのに歩く姿を見ればどちらかすぐにわかる、と私の知り合いの中国人が話していました。

歩行中の中国人の視線はまっすぐかやや上向き、それに対して日本人はやや前かがみで視線を落として歩くのが特徴だそうで…なるほどです。

 

さて一方で、日本に一時帰国するたびに、耳にするニュースがありました。

最近うつ病の人が急増しているとのことでした。

また、CMでは「うつ病は心の風邪だから、薬を飲んで治しましょう!」と

その時私は日本人には、癒しが必要と感じました。

 

本帰国したのは2011年の3月、東日本大震災の直後でした。

住居の方も、地震のため液状化が酷かった新浦安の予定を変更して東京の世田谷に住むことになりました。

 

6年半ぶりに帰国してみると、日本の様子はだいぶ変わっていました。

まずカルチャーセンターでは、習い事の種類が急増していて、フラワーアレンジメントのブームは

かなり去ってしまったような印象でした。

 

しかし私の中では、自分がやろうとしている事はこれからかも? と思っていたのです。

 

先ずはその頃ブームになりつつあるアーティフィシャルフラワーの認定講師の資格を取り、企業のイベント

等でレクチャーしていました。

その後、フラワーセラピストや花育、アートセラピー、フラワー風水、フラワーレメディーやカラーセラピー、傾聴講座、心理カウンセラー等、花と心理学に関する認定資格を続けて取得しました。

 

その頃全国的にうつ病の人がさらに急増して、医薬による副作用が問題になりさらなる症状に苦しむとい

う事態が浮上してきていました。

それと同時に医薬とは相反する代替療法やセラピーといいうことが話題性を呼んでいましたので、

私がこれからやりたいということと次第に結びついてきたのです。

 

2016年今度は夫が退職となり、千葉の関連会社に行くことになりました。

そして実に12年ぶりに千葉市に帰ることになったのです。

 

千葉市に戻ってみると、花仕事は以前のようにちょっと広告を撒けば人が集まる時代は過ぎ去り、

ネット社会に変化していました。

先ず始めたのは、特別養護老人ホームでのフラワーアレンジメントの講師でした。

認知症のお年寄りたちに逢うのは初めてでした。はじめ無表情だった人たちがお花を目の前にして

手に取った瞬間、表情が明らかに変わって目が輝き顔色が明るくなるのです!

また同時に昔の記憶がよみがえって来て、お花の名前を思い出しながら、娘時代の想い出や

実家に咲いていた花や両親のことまで話して下さり、花の癒し効果に手ごたえを感じました。

 

上海に行く前の生徒さん達ともLINEで繋がっていましたので、アーティフィシャルのクラスが

再び立ち上がりました。

また新たに知り合いになった人と一緒にイベントやワークショップも始めました。

 

そしてメンタルフローラルアドバイザー協会の認定校になってからは、資格取得のためのレッスンに

通って下さる生徒さんも次第に増える中、セラピーや心理学のレッスンの中ではその方たちの過去の人生にも

向き合うこととなりました。

中には壮絶な子供時代を送り、そこから這い上がって頑張って今を生きていらっしゃる方もおられます。

過去のトラウマから、インナーチャイルドを抱えながら成人してご自分の離婚問題や夫婦関係に

影響を及ぼしている場合も多く、そのような方にはじっくり寄り添いながら一緒に問題解決に向けて

セッションを続け、良い方向に変わられている方もいらっしゃいます。

また、心理学と色彩心理を組み合わせた“色えんぴつカラーセラピーセッション”では、何人もの方のセッショ

を通して、普段意識していない潜在意識を知ることで、本当の自分の夢や希望に気づくお手伝いをさせて

頂いております。

フラワーセラピーサークルでは、季節の美しいお花に触れながら、瞑想をしたり、ご自分で自由に表現できる

デザインを提供しながら、お花の持つ癒し効果とパワーを感じて頂くレッスンを行っています。

 

小規模ではありますが、花を通して心のつながりを持つ時間を今も広げている最中です。

 

さらに近隣の人ばかりにとどまらずさらにリモートを使って、その輪を全国に広げていきたいという

私の切なる想いが続いています。

 

ここまで、読下さって誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ⑧ 【 プロフィール 】

 

プロフィールの流れ

 

  • フラワーアレンジメントと出逢ったきっかけ
  • 地方の町の社宅生活の中で
  • 12年ぶり!待ち焦がれた夫の転勤先は?東京
  • 千葉市へ

千葉市での生活。インテリアの仕事からフラワー講師へ変わるきっかけ

  • フラワーアレンジメント全盛期
  • 上海へ

中国での生活

  • 日本人と中国人の大違いとは?
  • 2011年、震災直後の本帰国
  • 世田谷での生活
  • 日本に来て感じたこと。
  • フラワーセラピーとの出会い
  • 再び千葉市へ
  • 特別養護老人ホームでのフラワーレッスン
  • フラワーセラピーレッスン
  • フラワーセラピストの認定校になって、人の人生と向き合う
  • これからの花と私の役割について

 

*************************

 

私の仕事は現在“フラワーセラピスト”です。
以前はフラワーアレンジメントの講師を長年やってきました。

しかし今私は“セラピスト”だと自覚しています。

 

花には元々人を和ませたり、癒したりという自然のパワーが備わっています。

そのお花のパワーを生かしながら“人の心を癒す”というのがフラワーセラピストの仕事です。

 

何故私がフラワーセラピストになったのか?というきっかけと経緯をこれからお話

させていただきます。

 

 

私がフラワーアレンジメントに出逢ったのは30年前のことです。
それまでは、花を生けて飾ると言えば日本では生け花だけでした。


ある日、雑誌の記事にフラワーアレンジメントの写真が載っていたのを初めて見て

衝撃を受けました!パステル調の繊細で美しい花々と洋風の華やかなデザインの写真に惹かれたのです。

その頃、私は中国地方のとある市に住んでいました。
結婚してから5年くらい住んでいたその家は、夫の会社名が付いた○○町の社宅でした。

結婚前の私は仙台市で生まれ育ち、仕事はピアノやリトミックの教師をしていました。

 

夫の仕事はその頃研究員でした。研究所は工場と一体化していて、広大な土地の中にあり

社宅も同じく場内にありました。
場所は地方の自然豊かな所でしたが、昔ながらの風習を重んじる閉鎖的な土地柄でした。


社宅の生活はよそから来た者にとってはなかなかなじみにくい上、決まり事が色々ありました。

 

例えば、毎月社宅の周辺の草刈りの日があって全員が強制的に参加しなくてはならないとか、

毎年持ち回りの役がたくさんあって、やるのが当然のような雰囲気の中、私も子供会の会長や

婦人部の役員など、7年間も毎年社宅と市内のために役員をやらされていました。 

もちろん子育てをしながらでしたので、当時かなりのフラストレーションを当時抱えていました。

 

社宅生活の窮屈さから、ひと時開放されたくて習い始めたのがフラワーアレンジメントでした。

子供が2人共幼稚園に行っている間に、隣町の教室まで友人と一緒にレッスンに通い始めました。

本当に花には毎回癒されました~!

唯一の楽しみだったので、7年間も続けられたのです。

 

・・・そしてついに待ちに待ったこの日が来ました!!

夫の東京本社への転勤が決まったのです。\(^o^)/

引っ越し先は東京駅に通勤しやすい千葉市に決まりました。

 

落ち着いた頃に、渋谷の東急本店で開催されたフラワーアレンジメント展を見に行った時は

感動と開放感で満たされていました!

 

それから間もなく千葉市のホテルで、ブライダルを担当している教室でアレンジメントを習い始め

3年かけて認定講師の資格を取得しました。

その頃同時にカラーコーディネートの資格を取得したことから、最初大手住宅会社でインテリアを案内する

仕事をやっていました。しかし景気の落ち込みからその仕事は2年でなくなってしまいました。

 

次の仕事を探している時にたまたま新聞広告でみつけたのが、“フラワーアレンジメント講師募集”の

広告でした。10年間習ってはいたものの人に教えることなど考えてもいなかったので戸惑いましたが

ノウハウを指導してくださるということだったので始めてみようと思いました。

組織のトップデザイナーは、イギリス留学でフラワーアレンジメントのスキルをしっかり学んでき

来た人でした。

研修ではデザインだけではなく、あらゆる花の表現方法の他、花合わせやカラーコーディネートについても

惜しみなく指導してくださったその方は、人間性も素晴らしい人でしたので私の一番の恩師となりました。

 

当時はフラワーアレンジメントの全盛期でしたのでちょっと広告を撒けば2~30人は集まったので

市内4カ所で90人以上も生徒さんがいて、毎週のアレンジメントのレッスンで市内4カ所を

昼と夜、駆け回っていました。

毎年秋には展示会も行っていました。市立美術館や中央公園、文化会館などで作品展も行っていました。
たくさんの生徒さん達と関わるほどエピソードも色々あり、お花の癒し効果を益々感じていた頃でした。

 

しかし、その仕事を7年間続けた時、突然夫の海外駐在が決まり、中国の上海市に行くことが決まったのです。 子供たちは丁度東京の大学に通っていたので、2人で自炊することになり、私は夫に就いて上海で暮らすことになりました。


2005年から私は上海へ移り、市内の日本人居住地区で暮らすことになりました。

家は家具付きの広いマンションで、町内の管理棟にはコンシェルジュもいて、ゴルフ場やプール、レストラン

やスーパーなどもあり、800世帯もの日本人家族が暮らしていました。

ちょっと勘違いセレブの気分でいましたので、これをきっかけにこちらでは、上海バブルの生活を楽しもうと思っていたのです。

ところが、しばらくして日本人商工会議婦人部の方からアンケート用紙が届き、今までに日本で教えて来たことはないか? という質問があったので“フラワーアレンジメント”と書いたところ、次の日早速連絡が来て、

「お待ちしていました!」と歓迎されてしまいました。

 

話によると管理棟にあるカルチャーセンターで、少し前に前任講師が本帰国してしまったそうです。

‥ということで、行って間もなくまたフラワーアレンジメントのクラスを担当することになりました。

 

上海の花市場には、日系のお花屋さんも進出していて、日本語のできるスタッフもいましたので、花材の

調達もして頂いて、70名近い生徒さん達とすぐに毎週のレッスンが始まりました。

時々生徒さん達のアテンドで、上海の街巡りやお買い物もできて楽しい交流もできました。

 

2年後にはもっといろいろなご縁ができて、街の中心部に日本人や欧米人が通うスピリチャルなお店があり

こちらで“ヒーリングフラワー”というテーマでフラワーレッスンも行う事になり、上海タイムズにも掲載されました。
また、旧フランス租界のヨーロピアンな建築をリノベーションしたレストランでは、ブライダルフラワーを
担当させて頂き、仕事も益々忙しくなり充実していました。

 

そんな上海での暮らしの中で、私がずっと感じていたことがありました。

それは日本人と中国人の民族性の違いという点です。

中国人の特徴は、どこでも遠慮なく大声で話をし、自己優先でなんでも我先にやってしまう。

またどんなに貧乏な人たちでも悲壮感を全く感じさせることなくて皆楽しそうに暮らしているのです。

 

それに対して日本人は優しさや人への気遣いがあり、他人優先で素晴らしい面があるけれど、

一方遠慮がちで自己肯定感が低い人が多い。上海での暮らしが合わなくてうつ病になってしまい、

途中で帰国してしまう人もいました。

 

同じアジア系なのに歩く姿を見ればどちらかすぐにわかる、と私の知り合いの中国人が話していました。

歩行中の中国人の視線はまっすぐかやや上向き、それに対して日本人はやや前かがみで視線を落として歩くのが特徴だそうで…なるほどです。

 

さて一方で、日本に一時帰国するたびに、耳にするニュースがありました。

最近うつ病の人が急増しているとのことでした。

また、CMでは「うつ病は心の風邪だから、薬を飲んで治しましょう!」と

その時私は日本人には、癒しが必要と感じました。

 

本帰国したのは2011年の3月、東日本大震災の直後でした。

住居の方も、地震のため液状化が酷かった新浦安の予定を変更して東京の世田谷に住むことになりました。

 

6年半ぶりに帰国してみると、日本の様子はだいぶ変わっていました。

まずカルチャーセンターでは、習い事の種類が急増していて、フラワーアレンジメントのブームは

かなり去ってしまったような印象でした。

 

しかし私の中では、自分がやろうとしている事はこれからかも? と思っていたのです。

 

先ずはその頃ブームになりつつあるアーティフィシャルフラワーの認定講師の資格を取り、企業のイベント

等でレクチャーしていました。

その後、フラワーセラピストや花育、アートセラピー、フラワー風水、フラワーレメディーやカラーセラピー、傾聴講座、心理カウンセラー等、花と心理学に関する認定資格を続けて取得しました。

 

その頃全国的にうつ病の人がさらに急増して、医薬による副作用が問題になりさらなる症状に苦しむとい

う事態が浮上してきていました。

それと同時に医薬とは相反する代替療法やセラピーといいうことが話題性を呼んでいましたので、

私がこれからやりたいということと次第に結びついてきたのです。

 

2016年今度は夫が退職となり、千葉の関連会社に行くことになりました。

そして実に12年ぶりに千葉市に帰ることになったのです。

 

千葉市に戻ってみると、花仕事は以前のようにちょっと広告を撒けば人が集まる時代は過ぎ去り、

ネット社会に変化していました。

先ず始めたのは、特別養護老人ホームでのフラワーアレンジメントの講師でした。

認知症のお年寄りたちに逢うのは初めてでした。はじめ無表情だった人たちがお花を目の前にして

手に取った瞬間、表情が明らかに変わって目が輝き顔色が明るくなるのです!

また同時に昔の記憶がよみがえって来て、お花の名前を思い出しながら、娘時代の想い出や

実家に咲いていた花や両親のことまで話して下さり、花の癒し効果に手ごたえを感じました。

 

上海に行く前の生徒さん達ともLINEで繋がっていましたので、アーティフィシャルのクラスが

再び立ち上がりました。

また新たに知り合いになった人と一緒にイベントやワークショップも始めました。

 

そしてメンタルフローラルアドバイザー協会の認定校になってからは、資格取得のためのレッスンに

通って下さる生徒さんも次第に増える中、セラピーや心理学のレッスンの中ではその方たちの過去の人生にも

向き合うこととなりました。

中には壮絶な子供時代を送り、そこから這い上がって頑張って今を生きていらっしゃる方もおられます。

過去のトラウマから、インナーチャイルドを抱えながら成人してご自分の離婚問題や夫婦関係に

影響を及ぼしている場合も多く、そのような方にはじっくり寄り添いながら一緒に問題解決に向けて

セッションを続け、良い方向に変わられている方もいらっしゃいます。

また、心理学と色彩心理を組み合わせた“色えんぴつカラーセラピーセッション”では、何人もの方のセッショ

を通して、普段意識していない潜在意識を知ることで、本当の自分の夢や希望に気づくお手伝いをさせて

頂いております。

フラワーセラピーサークルでは、季節の美しいお花に触れながら、瞑想をしたり、ご自分で自由に表現できる

デザインを提供しながら、お花の持つ癒し効果とパワーを感じて頂くレッスンを行っています。

 

小規模ではありますが、花を通して心のつながりを持つ時間を今も広げている最中です。

 

さらに近隣の人ばかりにとどまらずさらにリモートを使って、その輪を全国に広げていきたいという

私の切なる想いが続いています。

 

ここまで、読下さって誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ⑧ 【 プロフィール 】

 

プロフィールの流れ

 

  • フラワーアレンジメントと出逢ったきっかけ
  • 地方の町の社宅生活の中で
  • 12年ぶり!待ち焦がれた夫の転勤先は?東京
  • 千葉市へ

千葉市での生活。インテリアの仕事からフラワー講師へ変わるきっかけ

  • フラワーアレンジメント全盛期
  • 上海へ

中国での生活

  • 日本人と中国人の大違いとは?
  • 2011年、震災直後の本帰国
  • 世田谷での生活
  • 日本に来て感じたこと。
  • フラワーセラピーとの出会い
  • 再び千葉市へ
  • 特別養護老人ホームでのフラワーレッスン
  • フラワーセラピーレッスン
  • フラワーセラピストの認定校になって、人の人生と向き合う
  • これからの花と私の役割について

 

*************************

 

私の仕事は現在“フラワーセラピスト”です。
以前はフラワーアレンジメントの講師を長年やってきました。

しかし今私は“セラピスト”だと自覚しています。

 

花には元々人を和ませたり、癒したりという自然のパワーが備わっています。

そのお花のパワーを生かしながら“人の心を癒す”というのがフラワーセラピストの仕事です。

 

何故私がフラワーセラピストになったのか?というきっかけと経緯をこれからお話

させていただきます。

 

 

私がフラワーアレンジメントに出逢ったのは30年前のことです。
それまでは、花を生けて飾ると言えば日本では生け花だけでした。


ある日、雑誌の記事にフラワーアレンジメントの写真が載っていたのを初めて見て

衝撃を受けました!パステル調の繊細で美しい花々と洋風の華やかなデザインの写真に惹かれたのです。

その頃、私は中国地方のとある市に住んでいました。
結婚してから5年くらい住んでいたその家は、夫の会社名が付いた○○町の社宅でした。

結婚前の私は仙台市で生まれ育ち、仕事はピアノやリトミックの教師をしていました。

 

夫の仕事はその頃研究員でした。研究所は工場と一体化していて、広大な土地の中にあり

社宅も同じく場内にありました。
場所は地方の自然豊かな所でしたが、昔ながらの風習を重んじる閉鎖的な土地柄でした。


社宅の生活はよそから来た者にとってはなかなかなじみにくい上、決まり事が色々ありました。

 

例えば、毎月社宅の周辺の草刈りの日があって全員が強制的に参加しなくてはならないとか、

毎年持ち回りの役がたくさんあって、やるのが当然のような雰囲気の中、私も子供会の会長や

婦人部の役員など、7年間も毎年社宅と市内のために役員をやらされていました。 

もちろん子育てをしながらでしたので、当時かなりのフラストレーションを当時抱えていました。

 

社宅生活の窮屈さから、ひと時開放されたくて習い始めたのがフラワーアレンジメントでした。

子供が2人共幼稚園に行っている間に、隣町の教室まで友人と一緒にレッスンに通い始めました。

本当に花には毎回癒されました~!

唯一の楽しみだったので、7年間も続けられたのです。

 

・・・そしてついに待ちに待ったこの日が来ました!!

夫の東京本社への転勤が決まったのです。\(^o^)/

引っ越し先は東京駅に通勤しやすい千葉市に決まりました。

 

落ち着いた頃に、渋谷の東急本店で開催されたフラワーアレンジメント展を見に行った時は

感動と開放感で満たされていました!

 

それから間もなく千葉市のホテルで、ブライダルを担当している教室でアレンジメントを習い始め

3年かけて認定講師の資格を取得しました。

その頃同時にカラーコーディネートの資格を取得したことから、最初大手住宅会社でインテリアを案内する

仕事をやっていました。しかし景気の落ち込みからその仕事は2年でなくなってしまいました。

 

次の仕事を探している時にたまたま新聞広告でみつけたのが、“フラワーアレンジメント講師募集”の

広告でした。10年間習ってはいたものの人に教えることなど考えてもいなかったので戸惑いましたが

ノウハウを指導してくださるということだったので始めてみようと思いました。

組織のトップデザイナーは、イギリス留学でフラワーアレンジメントのスキルをしっかり学んでき

来た人でした。

研修ではデザインだけではなく、あらゆる花の表現方法の他、花合わせやカラーコーディネートについても

惜しみなく指導してくださったその方は、人間性も素晴らしい人でしたので私の一番の恩師となりました。

 

当時はフラワーアレンジメントの全盛期でしたのでちょっと広告を撒けば2~30人は集まったので

市内4カ所で90人以上も生徒さんがいて、毎週のアレンジメントのレッスンで市内4カ所を

昼と夜、駆け回っていました。

毎年秋には展示会も行っていました。市立美術館や中央公園、文化会館などで作品展も行っていました。
たくさんの生徒さん達と関わるほどエピソードも色々あり、お花の癒し効果を益々感じていた頃でした。

 

しかし、その仕事を7年間続けた時、突然夫の海外駐在が決まり、中国の上海市に行くことが決まったのです。 子供たちは丁度東京の大学に通っていたので、2人で自炊することになり、私は夫に就いて上海で暮らすことになりました。


2005年から私は上海へ移り、市内の日本人居住地区で暮らすことになりました。

家は家具付きの広いマンションで、町内の管理棟にはコンシェルジュもいて、ゴルフ場やプール、レストラン

やスーパーなどもあり、800世帯もの日本人家族が暮らしていました。

ちょっと勘違いセレブの気分でいましたので、これをきっかけにこちらでは、上海バブルの生活を楽しもうと思っていたのです。

ところが、しばらくして日本人商工会議婦人部の方からアンケート用紙が届き、今までに日本で教えて来たことはないか? という質問があったので“フラワーアレンジメント”と書いたところ、次の日早速連絡が来て、

「お待ちしていました!」と歓迎されてしまいました。

 

話によると管理棟にあるカルチャーセンターで、少し前に前任講師が本帰国してしまったそうです。

‥ということで、行って間もなくまたフラワーアレンジメントのクラスを担当することになりました。

 

上海の花市場には、日系のお花屋さんも進出していて、日本語のできるスタッフもいましたので、花材の

調達もして頂いて、70名近い生徒さん達とすぐに毎週のレッスンが始まりました。

時々生徒さん達のアテンドで、上海の街巡りやお買い物もできて楽しい交流もできました。

 

2年後にはもっといろいろなご縁ができて、街の中心部に日本人や欧米人が通うスピリチャルなお店があり

こちらで“ヒーリングフラワー”というテーマでフラワーレッスンも行う事になり、上海タイムズにも掲載されました。
また、旧フランス租界のヨーロピアンな建築をリノベーションしたレストランでは、ブライダルフラワーを
担当させて頂き、仕事も益々忙しくなり充実していました。

 

そんな上海での暮らしの中で、私がずっと感じていたことがありました。

それは日本人と中国人の民族性の違いという点です。

中国人の特徴は、どこでも遠慮なく大声で話をし、自己優先でなんでも我先にやってしまう。

またどんなに貧乏な人たちでも悲壮感を全く感じさせることなくて皆楽しそうに暮らしているのです。

 

それに対して日本人は優しさや人への気遣いがあり、他人優先で素晴らしい面があるけれど、

一方遠慮がちで自己肯定感が低い人が多い。上海での暮らしが合わなくてうつ病になってしまい、

途中で帰国してしまう人もいました。

 

同じアジア系なのに歩く姿を見ればどちらかすぐにわかる、と私の知り合いの中国人が話していました。

歩行中の中国人の視線はまっすぐかやや上向き、それに対して日本人はやや前かがみで視線を落として歩くのが特徴だそうで…なるほどです。

 

さて一方で、日本に一時帰国するたびに、耳にするニュースがありました。

最近うつ病の人が急増しているとのことでした。

また、CMでは「うつ病は心の風邪だから、薬を飲んで治しましょう!」と

その時私は日本人には、癒しが必要と感じました。

 

本帰国したのは2011年の3月、東日本大震災の直後でした。

住居の方も、地震のため液状化が酷かった新浦安の予定を変更して東京の世田谷に住むことになりました。

 

6年半ぶりに帰国してみると、日本の様子はだいぶ変わっていました。

まずカルチャーセンターでは、習い事の種類が急増していて、フラワーアレンジメントのブームは

かなり去ってしまったような印象でした。

 

しかし私の中では、自分がやろうとしている事はこれからかも? と思っていたのです。

 

先ずはその頃ブームになりつつあるアーティフィシャルフラワーの認定講師の資格を取り、企業のイベント

等でレクチャーしていました。

その後、フラワーセラピストや花育、アートセラピー、フラワー風水、フラワーレメディーやカラーセラピー、傾聴講座、心理カウンセラー等、花と心理学に関する認定資格を続けて取得しました。

 

その頃全国的にうつ病の人がさらに急増して、医薬による副作用が問題になりさらなる症状に苦しむとい

う事態が浮上してきていました。

それと同時に医薬とは相反する代替療法やセラピーといいうことが話題性を呼んでいましたので、

私がこれからやりたいということと次第に結びついてきたのです。

 

2016年今度は夫が退職となり、千葉の関連会社に行くことになりました。

そして実に12年ぶりに千葉市に帰ることになったのです。

 

千葉市に戻ってみると、花仕事は以前のようにちょっと広告を撒けば人が集まる時代は過ぎ去り、

ネット社会に変化していました。

先ず始めたのは、特別養護老人ホームでのフラワーアレンジメントの講師でした。

認知症のお年寄りたちに逢うのは初めてでした。はじめ無表情だった人たちがお花を目の前にして

手に取った瞬間、表情が明らかに変わって目が輝き顔色が明るくなるのです!

また同時に昔の記憶がよみがえって来て、お花の名前を思い出しながら、娘時代の想い出や

実家に咲いていた花や両親のことまで話して下さり、花の癒し効果に手ごたえを感じました。

 

上海に行く前の生徒さん達ともLINEで繋がっていましたので、アーティフィシャルのクラスが

再び立ち上がりました。

また新たに知り合いになった人と一緒にイベントやワークショップも始めました。

 

そしてメンタルフローラルアドバイザー協会の認定校になってからは、資格取得のためのレッスンに

通って下さる生徒さんも次第に増える中、セラピーや心理学のレッスンの中ではその方たちの過去の人生にも

向き合うこととなりました。

中には壮絶な子供時代を送り、そこから這い上がって頑張って今を生きていらっしゃる方もおられます。

過去のトラウマから、インナーチャイルドを抱えながら成人してご自分の離婚問題や夫婦関係に

影響を及ぼしている場合も多く、そのような方にはじっくり寄り添いながら一緒に問題解決に向けて

セッションを続け、良い方向に変わられている方もいらっしゃいます。

また、心理学と色彩心理を組み合わせた“色えんぴつカラーセラピーセッション”では、何人もの方のセッショ

を通して、普段意識していない潜在意識を知ることで、本当の自分の夢や希望に気づくお手伝いをさせて

頂いております。

フラワーセラピーサークルでは、季節の美しいお花に触れながら、瞑想をしたり、ご自分で自由に表現できる

デザインを提供しながら、お花の持つ癒し効果とパワーを感じて頂くレッスンを行っています。

 

小規模ではありますが、花を通して心のつながりを持つ時間を今も広げている最中です。

 

さらに近隣の人ばかりにとどまらずさらにリモートを使って、その輪を全国に広げていきたいという

私の切なる想いが続いています。

 

ここまで、読下さって誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  • 12年ぶり!待ち焦がれた夫の転勤先は?東京
  • 千葉市へ

千葉市での生活。インテリアの仕事からフラワー講師へ変わるきっかけ

  • フラワーアレンジメント全盛期
  • 上海へ

中国での生活

  • 日本人と中国人の大違いとは?
  • 2011年、震災直後の本帰国
  • 世田谷での生活
  • 日本に来て感じたこと。
  • フラワーセラピーとの出会い
  • 再び千葉市へ
  • 特別養護老人ホームでのフラワーレッスン
  • フラワーセラピーレッスン
  • フラワーセラピストの認定校になって、人の人生と向き合う
  • これからの花と私の役割について

 

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フラワーアレンジメントと出逢ったきっかけ

私の仕事は現在“フラワーセラピスト”です。
以前はフラワーアレンジメントの講師を長年やってきました。

しかし今私は“セラピスト”だと自覚しています。

 

花には元々人を和ませたり、癒したりという自然のパワーが備わっています。

そのお花のパワーを生かしながら“人の心を癒す”というのがフラワーセラピストの仕事です。

 

何故私がフラワーセラピストになったのか?というきっかけと経緯をこれからお話

させていただきます。

 

 

私がフラワーアレンジメントに出逢ったのは30年前のことです。
それまでは、花を生けて飾ると言えば日本では生け花だけでした。


ある日、雑誌の記事にフラワーアレンジメントの写真が載っていたのを初めて見て

衝撃を受けました!パステル調の繊細で美しい花々と洋風の華やかなデザインの写真に惹かれたのです。

地方の町の社宅生活の中で

その頃、私は中国地方のとある市に住んでいました。
結婚してから5年くらい住んでいたその家は、夫の会社名が付いた○○町の社宅でした。

結婚前の私は仙台市で生まれ育ち、仕事はピアノやリトミックの教師をしていました。

 

夫の仕事はその頃研究員でした。研究所は工場と一体化していて、広大な土地の中にあり

社宅も同じく場内にありました。
場所は地方の自然豊かな所でしたが、昔ながらの風習を重んじる閉鎖的な土地柄でした。


社宅の生活はよそから来た者にとってはなかなかなじみにくい上、決まり事が色々ありました。

 

例えば、毎月社宅の周辺の草刈りの日があって全員が強制的に参加しなくてはならないとか、

毎年持ち回りの役がたくさんあって、やるのが当然のような雰囲気の中、私も子供会の会長や

婦人部の役員など、7年間も毎年社宅と市内のために役員をやらされていました。 

もちろん子育てをしながらでしたので、当時かなりのフラストレーションを当時抱えていました。

 

社宅生活の窮屈さから、ひと時開放されたくて習い始めたのがフラワーアレンジメントでした。

子供が2人共幼稚園に行っている間に、隣町の教室まで友人と一緒にレッスンに通い始めました。

本当に花には毎回癒されました~!

唯一の楽しみだったので、7年間も続けられたのです。

 

・・・そしてついに待ちに待ったこの日が来ました!!

夫の東京本社への転勤が決まったのです。\(^o^)/

引っ越し先は東京駅に通勤しやすい千葉市に決まりました。

 

落ち着いた頃に、渋谷の東急本店で開催されたフラワーアレンジメント展を見に行った時は

感動と開放感で満たされていました!

 

それから間もなく千葉市のホテルで、ブライダルを担当している教室でアレンジメントを習い始め

3年かけて認定講師の資格を取得しました。

その頃同時にカラーコーディネートの資格を取得したことから、最初大手住宅会社でインテリアを案内する

仕事をやっていました。しかし景気の落ち込みからその仕事は2年でなくなってしまいました。

 

次の仕事を探している時にたまたま新聞広告でみつけたのが、“フラワーアレンジメント講師募集”の

広告でした。10年間習ってはいたものの人に教えることなど考えてもいなかったので戸惑いましたが

ノウハウを指導してくださるということだったので始めてみようと思いました。

組織のトップデザイナーは、イギリス留学でフラワーアレンジメントのスキルをしっかり学んでき

来た人でした。

研修ではデザインだけではなく、あらゆる花の表現方法の他、花合わせやカラーコーディネートについても

惜しみなく指導してくださったその方は、人間性も素晴らしい人でしたので私の一番の恩師となりました。

 

当時はフラワーアレンジメントの全盛期でしたのでちょっと広告を撒けば2~30人は集まったので

市内4カ所で90人以上も生徒さんがいて、毎週のアレンジメントのレッスンで市内4カ所を

昼と夜、駆け回っていました。

毎年秋には展示会も行っていました。市立美術館や中央公園、文化会館などで作品展も行っていました。
たくさんの生徒さん達と関わるほどエピソードも色々あり、お花の癒し効果を益々感じていた頃でした。

 

しかし、その仕事を7年間続けた時、突然夫の海外駐在が決まり、中国の上海市に行くことが決まったのです。 子供たちは丁度東京の大学に通っていたので、2人で自炊することになり、私は夫に就いて上海で暮らすことになりました。


2005年から私は上海へ移り、市内の日本人居住地区で暮らすことになりました。

家は家具付きの広いマンションで、町内の管理棟にはコンシェルジュもいて、ゴルフ場やプール、レストラン

やスーパーなどもあり、800世帯もの日本人家族が暮らしていました。

ちょっと勘違いセレブの気分でいましたので、これをきっかけにこちらでは、上海バブルの生活を楽しもうと思っていたのです。

ところが、しばらくして日本人商工会議婦人部の方からアンケート用紙が届き、今までに日本で教えて来たことはないか? という質問があったので“フラワーアレンジメント”と書いたところ、次の日早速連絡が来て、

「お待ちしていました!」と歓迎されてしまいました。

 

話によると管理棟にあるカルチャーセンターで、少し前に前任講師が本帰国してしまったそうです。

‥ということで、行って間もなくまたフラワーアレンジメントのクラスを担当することになりました。

 

上海の花市場には、日系のお花屋さんも進出していて、日本語のできるスタッフもいましたので、花材の

調達もして頂いて、70名近い生徒さん達とすぐに毎週のレッスンが始まりました。

時々生徒さん達のアテンドで、上海の街巡りやお買い物もできて楽しい交流もできました。

 

2年後にはもっといろいろなご縁ができて、街の中心部に日本人や欧米人が通うスピリチャルなお店があり

こちらで“ヒーリングフラワー”というテーマでフラワーレッスンも行う事になり、上海タイムズにも掲載されました。
また、旧フランス租界のヨーロピアンな建築をリノベーションしたレストランでは、ブライダルフラワーを
担当させて頂き、仕事も益々忙しくなり充実していました。

 

そんな上海での暮らしの中で、私がずっと感じていたことがありました。

それは日本人と中国人の民族性の違いという点です。

中国人の特徴は、どこでも遠慮なく大声で話をし、自己優先でなんでも我先にやってしまう。

またどんなに貧乏な人たちでも悲壮感を全く感じさせることなくて皆楽しそうに暮らしているのです。

 

それに対して日本人は優しさや人への気遣いがあり、他人優先で素晴らしい面があるけれど、

一方遠慮がちで自己肯定感が低い人が多い。上海での暮らしが合わなくてうつ病になってしまい、

途中で帰国してしまう人もいました。

 

同じアジア系なのに歩く姿を見ればどちらかすぐにわかる、と私の知り合いの中国人が話していました。

歩行中の中国人の視線はまっすぐかやや上向き、それに対して日本人はやや前かがみで視線を落として歩くのが特徴だそうで…なるほどです。

 

さて一方で、日本に一時帰国するたびに、耳にするニュースがありました。

最近うつ病の人が急増しているとのことでした。

また、CMでは「うつ病は心の風邪だから、薬を飲んで治しましょう!」と

その時私は日本人には、癒しが必要と感じました。

 

本帰国したのは2011年の3月、東日本大震災の直後でした。

住居の方も、地震のため液状化が酷かった新浦安の予定を変更して東京の世田谷に住むことになりました。

 

6年半ぶりに帰国してみると、日本の様子はだいぶ変わっていました。

まずカルチャーセンターでは、習い事の種類が急増していて、フラワーアレンジメントのブームは

かなり去ってしまったような印象でした。

 

しかし私の中では、自分がやろうとしている事はこれからかも? と思っていたのです。

 

先ずはその頃ブームになりつつあるアーティフィシャルフラワーの認定講師の資格を取り、企業のイベント

等でレクチャーしていました。

その後、フラワーセラピストや花育、アートセラピー、フラワー風水、フラワーレメディーやカラーセラピー、傾聴講座、心理カウンセラー等、花と心理学に関する認定資格を続けて取得しました。

 

その頃全国的にうつ病の人がさらに急増して、医薬による副作用が問題になりさらなる症状に苦しむとい

う事態が浮上してきていました。

それと同時に医薬とは相反する代替療法やセラピーといいうことが話題性を呼んでいましたので、

私がこれからやりたいということと次第に結びついてきたのです。

 

2016年今度は夫が退職となり、千葉の関連会社に行くことになりました。

そして実に12年ぶりに千葉市に帰ることになったのです。

 

千葉市に戻ってみると、花仕事は以前のようにちょっと広告を撒けば人が集まる時代は過ぎ去り、

ネット社会に変化していました。

先ず始めたのは、特別養護老人ホームでのフラワーアレンジメントの講師でした。

認知症のお年寄りたちに逢うのは初めてでした。はじめ無表情だった人たちがお花を目の前にして

手に取った瞬間、表情が明らかに変わって目が輝き顔色が明るくなるのです!

また同時に昔の記憶がよみがえって来て、お花の名前を思い出しながら、娘時代の想い出や

実家に咲いていた花や両親のことまで話して下さり、花の癒し効果に手ごたえを感じました。

 

上海に行く前の生徒さん達ともLINEで繋がっていましたので、アーティフィシャルのクラスが

再び立ち上がりました。

また新たに知り合いになった人と一緒にイベントやワークショップも始めました。

 

そしてメンタルフローラルアドバイザー協会の認定校になってからは、資格取得のためのレッスンに

通って下さる生徒さんも次第に増える中、セラピーや心理学のレッスンの中ではその方たちの過去の人生にも

向き合うこととなりました。

中には壮絶な子供時代を送り、そこから這い上がって頑張って今を生きていらっしゃる方もおられます。

過去のトラウマから、インナーチャイルドを抱えながら成人してご自分の離婚問題や夫婦関係に

影響を及ぼしている場合も多く、そのような方にはじっくり寄り添いながら一緒に問題解決に向けて

セッションを続け、良い方向に変わられている方もいらっしゃいます。

また、心理学と色彩心理を組み合わせた“色えんぴつカラーセラピーセッション”では、何人もの方のセッショ

を通して、普段意識していない潜在意識を知ることで、本当の自分の夢や希望に気づくお手伝いをさせて

頂いております。

フラワーセラピーサークルでは、季節の美しいお花に触れながら、瞑想をしたり、ご自分で自由に表現できる

デザインを提供しながら、お花の持つ癒し効果とパワーを感じて頂くレッスンを行っています。

 

小規模ではありますが、花を通して心のつながりを持つ時間を今も広げている最中です。

 

さらに近隣の人ばかりにとどまらずさらにリモートを使って、その輪を全国に広げていきたいという

私の切なる想いが続いています。

 

ここまで、読下さって誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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